2019年に悪性リンパ腫(バーキットリンパ腫)、2022年に二次性白血病を患いました。この記事を書いている現在、白血病の治療で入院中です。
この記事では自分自身の備忘録として、前半部分では体調不良を感じてから悪性リンパ腫(バーキットリンパ腫)と診断を受けて入院、治療を経て寛解までを書いています。後半部分は、再びの体調不良を感じてから白血病の診断を受けるまでを書きました。
自分の備忘録としてだけではなく、悪性リンパ腫や白血病で闘病中の方や家族の方などの参考にもなれば幸いです。
目次
体調異変から救急搬送されるまで

まず最初に、体調の異変を感じてから救急搬送されるまでをまとめました。
- 2018年12月頃|体調に異変を感じる
- 2019年1月~3月|体調が悪化していくも原因不明
- 2019年4月~6月|通院するも原因不明
- 2019年7月|吐血して救急搬送そして病名判明
2018年12月頃|体調に異変を感じる
最初に体調の異変を感じたのは、2018年12月頃です。何か食べるとお腹が痛くなる。その痛みが、今まで経験したことないくらいキツイ痛みでした。さらに食後すぐ嘔吐することもありました。
気持ち悪さなどを感じることなく、いきなり嘔吐してしまうので当時はかなり不思議だったのを覚えています。突然、前触れもなく吐いてしまうので怖くて外食はできなくなってしまいました。
しかし、この時期は仕事が忙しくて病院には行かずに過ごしてしまいました。今思えば、すでにこの時点で悪性リンパ腫を発症していたのかもしれません。
この時期にしっかりした病院で検査を受けておけば、その後の治療もかなり楽だったと思います。後悔先に立たず。
2019年1月~3月|体調が悪化していくも原因不明
2019年1月から3月にかけても仕事が忙しかったので、病院には行かずじまいでした。この時期から腹痛だけではなく、たまに背中にも痛みを感じるようになりました。また、腹痛の痛みもさらに強烈になってきていたのはよく覚えています。
2019年4月~6月|通院するも原因不明
3月末で仕事が一区切りついたのを機に、ようやく病院へ行きました。行ったのは池袋の某病院。この病院で受けた検査はお腹のエコーと検便、さらにこの病院から紹介されて行った目白の病院で腹部のレントゲン。結果は「特に異常なし」。
後々、めちゃくちゃ異常ありだったことがわかるのですが、、、あとで入院した病院の主治医は「なぜこの状態で異常なしと診断したのか理解できない」と仰っていました。病院選びはとても大切です。
2019年7月|吐血して救急搬送そして病名判明
病院で異常なしと診断されてしまい、結局そのまま生活を送っていたのですが症状は悪くなる一方でした。そして2019年7月下旬、夜に自宅で仕事中に吐血して救急搬送。最初に搬送された病院でレントゲンを撮ったところ、胃がんの可能性があると言われました。
しかし、その病院ではそれ以上の対応ができず、さらにそこからまた離れた大きな病院に救急車で運ばれることに。記憶が確かなら1時間くらいかかったような。救急車のなかでも何度か吐血しながら「長いな、、」と感じたのはよく覚えています。
搬送された大きな病院で応急処置を受けました。そのまま入院を勧められたのですが、仕事がやりかけだったので一旦家に帰らしてもらいました。病院を出れたのは午前4時過ぎ。帰宅できたのは午前5時過ぎ。
数日後、その病院であらためて検査をしてもらった結果、悪性リンパ腫であることが判明しました。即入院することに。
悪性リンパ腫(バーキットリンパ腫)の治療で入院

ようやく病名が判明して入院、治療することになりました。次からは入院から退院、寛解までをまとめました。
- 2019年7月~2020年3月|悪性リンパ腫の治療で入院
- 2020年3月|退院
- 2020年4月|寛解
2019年7月~2020年3月|悪性リンパ腫の治療で入院
入院期間は最終的に2019年7月~2020年3月までかかりました。途中、何回か一時退院という形で数日は家に帰れたのですが、長かったですね。
入院して行ったのは、抗がん剤治療です。人生で初めての抗がん剤治療。一日でも早く治療をしなければいけない状態とのことで入院してすぐ検査、数日後には抗がん剤による治療が開始されました。
抗がん剤治療法にはたくさんの種類があるのですが、自分に適用されたのは「Hyper-CVAD」という療法でした。数ある抗がん剤治療法のなかでも、副作用がキツイ部類に入る療法らしいです。
血球の減少、脱毛、吐き気、発熱など抗がん剤の副作用として知られているものはひととおり経験しました。敗血病にも3回ほどかかりつつ、なんとか当初予定していた抗がん剤治療をやりきりました。
2020年3月|退院
2020年3月、めでたく退院しました。その後は月一で通院して採血と診察を受けて経過観察することに。
2020年4月|悪性リンパ腫(バーキットリンパ腫)寛解
2020年4月、外来でPET検査を受けて寛解していることを確認しました。今後も経過観察で月一通院は続くものの、ようやくこれで一区切り。
2020年5月~2022年5月|体力の回復に努めながら日常生活を送る

その後も月イチで病院を訪れての採血と診察は続けながら、日常生活を送りました。退院当初はとにかく体力が落ちていたので、体調を様子見しながら徐々に普通の生活に戻していくことを目指しました。
ちょっとでも夜更かしするとすぐ発熱、一度発熱すると数日間は熱が下がらない。そんな状態だったので、一日で働く時間を最初は2時間から始めていきました。
少しずつ働く時間を増やしていく、、つもりだったんですが、取引先の都合でいきなり作業時間が増えたり、夜遅くに対応しなければいけなくなったりなんてことも。案の定、発熱して大きく体調を崩すこともありましたが、なんとか日常生活を続けました。
再び体調に異変を感じてから再入院するまで

たまに大きく体調を崩すこともありましたが、徐々に体力が回復している実感はありました。しかし、悪性リンパ腫(バーキットリンパ腫)の寛解から2年を経た2022年6月、体調に大きな異変が生じます。
ここからは、再び体調に異変を感じてから二次性白血病と診断されて再入院するまでをまとめました。
- 2022年6月|尋常じゃないふらつきと目眩を感じる
- 2022年6月|骨髄異形成症候群の診断を受ける
- 2022年9月|白血病の診断を受ける
2022年6月|尋常じゃないふらつきと目眩を感じる
体調の異変は前触れもなく急にやってきました。2022年6月のある日、ラーメン屋から徒歩で駅にむかっていたのですが、急に強烈なふらつきを感じたのが最初です。その日は暑かったので「日射病かな?」とも思ったのですが、病気再発の可能性もあるようなと考えました。
翌日になってもふらつきが収まらないので病院の患者専用窓口に電話して症状を伝えました。その結果、すぐ診察に来てくださいとのことで病院へ。
2022年6月|骨髄異形成症候群の診断を受ける
検査の結果、骨髄異形成症候群と診断されました。個人的には初めて聞く病名でしたが、自分の場合は3年前に行った抗がん剤治療の副作用と考えられるとのことでした。
このとき、病院で受けた検査は骨髄穿刺です。骨髄液を採取して、それを分析するという検査でした。
2022年9月|白血病の診断を受ける
2020年9月、再び行った骨髄穿刺の結果、二次性白血病と診断されました。二次性八景つ病は、抗がん剤治療の副作用が原因と考えられる白血病です。すぐ入院して治療が必要とのことで、翌日に入院することに。
そして、この記事を書いている現在に至っています。今も抗がん剤を投与されながら、この記事を書いています。9月は抗がん剤の副作用でそれなりに大変だったのですが、この記事を書いている11月現在は大きな副作用もなく落ち着いています。
順調にいけば、2022年12月に臍帯血移植をする予定です。
振り返って思う2つの失敗ポイント

ここまで振り返ってみて、自分の場合は大きな2つの失敗ポイントがあります。後悔するだけではなく、今後同じ失敗をしないために。
体調異変を感じた段階で病院に行くべきだった
まず2019年12月頃、体調に異変を感じた早い段階で病院に行くべきでした。当時は疲れや寝不足、ストレスが原因の一時的なもので、しばらくしたら治るだろうと考えていたような気がします。
違う病院の診察も受けるべきだった
最初に診察を受けた池袋の二病院で「異常なし」と診断された時点で、違う病院の診察も受けるべきでした。当時受診した病院が悪性リンパ腫を見抜けなかったことで、だいぶ病気が進行してしまいました。
もっと早い段階でわかっていれば、その後の治療期間はだいぶ短縮できたし、そもそも命に危険が及ぶまで危ない状態にもならなかったなと。悪性リンパ腫が軽度で済めば、その後に白血病に罹患するのは防げたかもしれない。
最後に

あらためて振り返ってみると、そんなこともあったなとか、もうちょっとうまく立ち回れたら良かったのになとか、大変だったなとか思うことはたくさんあります。
程度にもよりますが、基本的に体調不良を感じたらなるべく早めに病院で診察を受けることが大切です。もしそれでも体調不良が改善しない場合や、医師の対応に不安を感じた場合は違う病院の診察を受けることも検討しましょう。手遅れになる前に。
自分に関しては過去はどう頑張っても変えられないので教訓としつつ、今後の人生が少しでも良くなるようにしっかり進んでいきたいと思います。
悪性リンパ腫の治療を終えて、退院した頃に読んだ本です。当時は今後の人生に漠然とした不安を抱えていたのですが、この本を読むことで、前向きな気持ちを持てるようになりました。自分にとって、そんな本です。
人気プロレスラーだった小橋建太さんは2006年6月に腎臓がんを宣告されました。手術、そして1年以上の闘病、リハビリを経て日本武道館の試合で復帰します。その当時の出来事や心の動きなどが本人によって事細かく記載されています。
